先日、同期との飲み会がありました。その飲み会で色々とエモい気持ちになったので社会人1年目に経験した理不尽と会社についての特に印象に残っているエピソードについて書きたいと思います。
ほぼ実話ですが結構嫌な表現がありますので気分悪くされたらごめんなさい。
入社時の合宿研修
僕は2007年に高校を卒業してイトーヨーカ堂に入社した。
今は勤めていないし、別に知られてもいいので会社名は書くが、それ以外については伏せる。
今はどうだか知らないけど、当時のイトーヨーカ堂は3月に1週間の合宿があった。そこでOJTを受け、その後辞令式、入社式という流れだったと記憶している。
3月の2週目くらいに入社式があるのでいまだに「早い入社式」とかいってニュースで報じられていたりするので吐き気がする。4月からでいいだろう気持ちが悪い。
僕は合宿中にインフルエンザに罹患してしまって合宿を途中離脱してしまったので上記の流れからははずれて、少し延びた春休みを満喫していたのだけど。
同期たちは”早い入社式”を終えて3月から配属先の店で研修を受けていたわけですね。
僕は4月1日から改めて合宿研修を受けて(2泊3日)配属先に向かうのだった。
ついでに言うと、合宿に行く前会社から「身だしなみのルール」という冊子が届いた。
そこには髪型の指定があった(もみあげは耳の真ん中くらい、前髪は短く等)ので、その冊子を持って美容室に行き、指定の通りに切ってもらって合宿に臨んだのだが、合宿初日の夕食後に研修担当に髪型のダメ出しをくらい合宿場に来ていたババアおばあさんの床屋に1,000円(自腹)払ってバリカンで髪を刈られた。信じられなかったそんなことが許されていいのか、許せない。
男はほぼ全員がやられていたと思う。今じゃありえない、平成だから許されていたというか許しちゃいけないことだと思う。当時の担当がもしこの記事を見たら連絡してきてほしい、こてんぱんに説き伏せてやるよ。バカが。
実は床屋のババアばあさんと癒着があったんじゃないのかと疑ってしまう。未だに腹が立つ。
ババア年老いた女がいるなら美容室代払う必要なかったし、冊子の通り切っていったのにという気持ちがあるので何度でも言うが未だに許していない。
あと合宿先は東京の代々木あたりだったので東京勢は帰らせてくれよと本気で思っていた。朝来るから。なんで大浴場でみんなで風呂に入らなくてはいけないのだ。バカなんだろうな。今のあの会社の惨状を見るとざまあみろとしか思わない。早く滅びろ。
同じ店の同期たち
2度目の研修を終えた僕は配属先の店舗へ行った。
一足早く配属されて研修を行っていた同期たちが9人いた。
自分を入れて10人が同じ店の同期だった。高卒が6人(男4:女2)、大卒が4人(男3:女1)だった。
僕は本当は進学したかったんだけど、親からの猛烈な反対と自分の無知のせいで就職を選んだ。
イトーヨーカ堂も「まぁ有名な会社だし」くらいの軽い気持ちで選んだので定年まで勤めるとか、出世するぞ!とかそんな志もなく入社したので全くやる気も覇気もなかったし、斜に構えた態度でやる気のない嫌なヤツだったと思う。
そんな僕と違って、高卒の同期たちはやる気満々でびっくりした。
合宿のときに合宿所の廊下で「お疲れ様です!」とか「おはようございます!」とか、廊下を通る我々同期に向かって元気にあいさつしている2人組がいて、「気持ち悪いやつらだな」と思っていた、そのうち1人が同じ店の鮮魚に配属されていた。こいつはずーっとやる気あるしダル絡みしてきて全然好きになれなかった。改めて思い出して今も嫌い。芯から嫌い。
今は退職して船橋でお店やってるみたいです。行くことはないと思うけど。
そんなやる気のある高卒の同期たちに辟易としながら、社員食堂で同期全員でお昼ご飯を食べたのだが、大卒の同期の男たち3人に「いつ辞める?」と聞かれてびっくりしたのと同時に嬉しかった。
「仲間がいる!!」と思ったし、この人たちがいるなら少しは続けていけるかもしれないなと思った。今でもこの大卒の同期3人とは飲みに行ったりして交流している。
店舗での研修
他部門研修
店舗での研修は様々だった。同期みんなで試食販売をしたり、自分は惣菜の配属だったんだけど他の部門を経験させるためか”寝具売場”とか”紳士服売場”とかに研修にいった。
その時に、あいさつを元気にすることが接客では大事だという寝具売場のマネジャーからの”ありがたい指導”があり、売り場の端と端に立たされて「いらっしゃいませ!」と反対側の同期に聞こえる声で言わされた。バカがまたいるよと思った。「いらっしゃいませ」を大きな声で言って布団が売れるならいくらでも大きな声を出せばいい。だけどその人が大きな声で「いらっしゃいませ」を言っていても布団は1日に1枚も売れない日もある。別の工夫をしろよ。こんな文化もう廃れているといいなと思う。
バカな先輩
ある日、研修中の我々新入社員に呼び出しがかかり、集められた。
2年目の精肉の先輩がいかにも怒っているといった表情で我々のもとにやってきた。
なんでも我々にやる気が感じられないのだという。やる気を計測するメーターでも持ってるのかこいつは、と思いながら話を聞いていた。
中身のない話を延々した後に「お前らマネジャーになりたくないのか!」と尋ねてきた。「なりたくねーよ別に」と思っていたら近くに座っていた僕に「お前マネージャーになりたくないのか!!」と聞いてきたので「なりたくないです」と丁寧に伝えた。
なんか怒ってたけど僕にはどうでもよかった。定年までいる気もないこんな会社で、しかも自分だってマネジャーじゃないのに後輩呼び出して説教して悦に浸っているような馬鹿(敢えて漢字で書く)がいるような会社での出世なんてこちらから願い下げだ。
そんなんで気持ちよくなってないで肉の1枚でも切ってた方がお前はマネジャーに近付けるんじゃないのかと思ってた。でもこの馬鹿がいたお陰で新入社員の団結力が少し高まった気がした。馬鹿でも役に立つことがある。あと惚れ惚れするほどのすきっ歯のやつだった。
もう1人バカがいた。
初めての冬の賞与を貰ったときに、「お前ボーナスいくらだった?」と聞いてきたので何故言わなきゃならんのかと思っていると「新入社員は聞かれたら答えるものだ」と言われたので賞与の額を伝えたら「あいつがこんなに貰ったと自慢していた」と吹聴された。頭がクラクラした。信じられないような馬鹿っているんだと思った。腐ってるゴミみたいなやつだった。頼むから不幸になれよと思った。
腹が立ったのでそれ以降存在しない者とした。そいつが居ても”見えないフリ”をして徹底的に無視した。喋りかけられても応えないし、話題の中でその馬鹿の話が出ても「そんな人います?」といった態度でずーっと過ごした。今も許していない。
上司にもバカがいた。
14時から”マネジャーミーティング”が毎日ある。僕が配属された店は雨に弱い店で、天気が悪いと売り上げが悪いのだが、その馬鹿が「気合で売れ!」と怒鳴ってた。
何人馬鹿がいるんだよと思った。気合で売れってなんなんだ。しかも怒鳴って。
同期の1人が「馬鹿に限って根性論」と言っていてとても救われた。やっぱり僕は間違ってないんだと思ったからだ。
本気で馬鹿で大嫌いで嫌だったけど、もう彼らは僕の人生から消え去ったので清々している。
母の日ギフト
母の日前になると母の日ギフトが売られているのを目にすることがあると思います。
配属された店舗では新入社員が母の日ギフトをお客さんに売るというのが通例であるようで、我々もその役目を仰せつかった。ノルマは1人5件。
皆で話し合い、各々店内を練り歩き声掛けして売るというのが作戦だった。
が、なかなか買ってくれない。それもそうだ忙しい時間で買い物に来てるのにこんなめんどくさい声掛けなんかに構っていられないだろう。僕だってウォーターサーバーの勧誘なんてガン無視する。
改めて話し合いとなった。なんでも、昨年より売れていないという。女の同期なんてそれを聞いて泣き出す始末。くだらないと思った。母の日ギフトたくさん売ったって褒められるだけだし別に売れなくたって死ぬわけでも給料が減るわけでもないのに。なんでそこまでやる気が出るんだろうとそっちの方が気になった。くだらなすぎて僕まで泣きそうだった。
そして、各々エスカレーターの踊り場にてお客さんを待ち構え、母の日ギフトの宣伝をするという作戦を”泣き女”が提案してきた。泣いてたし、これ以上の話し合いはめんどくさいと恐らくみんなが思ったので、一旦受け入れた。
しかしよくよく考えると、宣伝して売れてもそれは新入社員の売り上げにはならず、サービスカウンターのポイントになるのだ。
新入社員のポイントにするには自分の名前が入った申し込み票で申し込みしてもらわないといけない。だったらと早々に僕はエスカレーターの踊り場から移動して屋上に向かった。
当時、屋上には”遊園地”があったちょっとしたゲームコーナーとかボールプールみたいな遊具があって、そこで子供たちを遊ばせているお母さんたちがママ友会をしているのだ。
そこに僕は向かって行った。
新入社員は腕に”新人研修”と書かれた腕章を付けている。それを最大限に利用した。
ママ友会の最中のママさんたちのところに近づいて行って「あのー、すみません、母の日ギフトいかがですか?僕新入社員で売れないと怒られちゃうんです」なんて泣き落としだ。
結果同情してくれたママさんたちはたくさん申し込んでくれて僕1人で10件くらい申し込みをゲットした。
ホクホクで報告すると”泣き女”が持ち場を離れたことに怒っていたけど、ノルマより獲得してるんだから僕の方が偉いと思う。これだから”お上りさん”はと思った。泣いてるなら鹿児島に帰れとさえ思った。もしかしたら言ってたかもしれない。
そんな態度でいると当然高卒の同期たちからは敬遠されていった。
その代わり大卒の同期たちがかわいがってくれた。仕事終わりに飲みに連れて行ってくれたり、夜遊びに行ったりした。
1人が2年目に辞めてしまって寂しかった。こんなに早く辞めちゃうんだなと思ったのを覚えてる。
1人は結婚式に呼んでくれた。ディズニー好きでミラコスタでの式だった。
ミラコスタの式なんて滅多に行けるものではないし呼んでくれて本当に嬉しかった。
1人は一番早く辞めると思っていたけど意外と辞めずに同じ日に辞令を受けて、大阪へ異動になった。
僕は5年目か6年目で退職してしばらくみんなと連絡取ってなかったんだけどふと思って30歳くらいの時に連絡してみた。
久しぶりに集まったらみんなおじさんになってたけど全然変わってなかった。
イトーヨーカ堂はもう辞めてそれぞれ違う仕事をしている。1人は仕事しないで所謂FIREをしているので本当にすごいと思う。
先日半年ぶりに飲み会だった。
相変わらず、集まったらイトーヨーカ堂の悪口で盛り上がれるんだからあの経験も悪くはなかったのかもしれないと思ったけど、明日もし目が覚めて20歳で身体がイトーヨーカ堂に出社しようとしたら絶望してしまうと思う。それくらいにはもうああいった職場では働きたくない。
今も働いている人はうな重を1人5個買わされたり、クリスマスのケーキを3個とか買わされたりっていう自爆営業させられてないといいな。
僕が入社したころよりお店の数も半分くらいになっちゃったし。
辞めるとき僕に「もったいない」とか言ってきたやつら元気にしてるのかな。
どうでもいいけど。
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